「護送船団方式」を撤廃した「日本版ビッグバン」
1990年代前半までの保険業界は、比較的おだやかな競争の中で共存する状態でした。
たとえば、生命保険と損害保険の完全な棲み分けが行われていただけでなく、各揖保会社は同じ保険料率で同じ保険商品を販売していました。ということは、大きな資本の会社が看板や財力にものをいわせて小さな会社にはできない独自のサービスによって顧客を囲い込み、小さな会社 をつぶすということがなかったわけです。
こうした業界各社の安定経営を行わせるために、様々な行政指導や保護を行う構造は、「護送船団方式」などと呼ばれていました。
それが、アメリカの要望を受けた橋本龍太郎内閣によって、1996年に「日本版ビッグバン」という金融政策を打ち出し、保険を含めた金融界全体が自由競争への道筋を徐々につけられました。
保険についていえば、まず1996年の「日米保険協議」に基づき保険業法が改正され、生命保険会社は損害保険会社の、揖害保険会社は生命保険会社の子会社を作り「異業種」に進出できるようになりました。たとえば、日本生命はニツセイ揖保(現ニツセイ同和損保)を、東京海上は
東京海上あんしん生命(現東京海上日動あんしん生命)を設立しました。
ただ、この段階では、生保系損保会社は傷害保険を扱えず、揖保系生保会社も医療保険を扱えませんでした。
1998年には損害保険料率が自由化され、外資系揖保会社がリスク細分化型自動車保険の販売を始めたため、同一料金同一商品で共存共栄だった揖保も、いよいよ価格殻争が始まることになりました。
そして、2001年1月にはその総仕上げとして、すべての保険会社が第三分野の保険商品を扱えるようになったのです。金融界の自由競争、親制媛和(というより撤廃)のあおりをうけて、 銀行が再編されたように、損保各社も中堅以上の会社ですら次々合併し、国民を驚かせました。たとえば、東京海上は日動火災を合餅し、東京海上日動になりました。同様に三井海上と住友海上が合併して三井住友海上へ、安田火災と日産火災が合併して大成火災の契約移転も受け揖保ジャパンに、大東京火災と千代田火災が合併してあいおい揖保へ、日本火災と興和火災が合併して日本興和損保になりました。
現在は、再編された銀行、生保、揖保がそれぞれ新たな提携関係を構築しています。
合併生損保と3大メガバンクの提携関係
| 三菱東京 ファイナンシャル・グループ |
みずほ ファイナンシャル・グループ |
住友グループ・ 三井グループ |
|
|---|---|---|---|
| 銀行 | 三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行+東京銀行+UFJ銀行(三和銀行+東海銀行)) |
みずほ銀行 (第一勧業銀行+富士銀行+日本興業銀行) |
三井住友銀行(わかしお銀行+住友銀行+三井銀行) |
| 生命保険 | 明治安田生命 (明治生命+安田生命) 大同生命 太陽生命 |
第一生命 | 住友生命 三井生命 |
| 損害保険 | 東京海上日動 (東京海上+日動火災) 日本興和損保 (日本火災+興和火災+太陽火災) |
損保ジャパン (安田火災+日産火災+大成火災) |
三井住友海上 (三井海上+住友海上) |
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